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2006年10月18日 (水)

 ミサゴ(2)

 ミサゴは万葉時代から歌に詠われた猛禽類の一つである。鳥見にはまってからのことであるが、偶然に万葉集を読む機会があった。その中に、ミサゴが登場する歌を見て、私が60歳半ばでやっと知った鳥が、万葉時代の昔から詠われた鳥であったのかと妙に感心した。直接ミサゴの姿形を愛でて詠ったものではないが、荒磯にいる鳥として「みさごいる」と、磯にかかる枕詞として詠まれることが多かったようである。日本では古くは雎鳩(しょきゅう)と表され、雎のみでミサゴを表した。

 万葉集のミサゴの歌は、殆どが荒磯のある海岸をイメージさせるものであるが、千葉県では、印旛沼を始め、三番瀬、小櫃川河口洲などの穏やかな遠浅の海岸で見ることもある。

 鵈鳩(みさご)いる 磯廻に生ふる名乗藻の 名は告らしてよ親は知るとも
             万葉集( 3.362) 山部赤人

 歌の世界で詠われた鳥たちは、人の聴覚情動系に受け入れられる鳥、つまり作者が自分の気持ちをその鳴き声に託して表すことが出来るホトトギス、ウグイス、カリ、ツル、カイツブリ、カッコウ等の鳥が多い。万葉人が鳥の姿形そのものを詠むことは少ないと感じていたもので、ミサゴのようにその鳴き声よりも姿形の見栄えが勝る鳥、即ち視覚情動系に強く訴える鳥が詠われるのは珍しいと思った。上に挙げた山部赤人の歌は軽いタッチで詠んだものらしいが、心情的な深刻さが少ないだけミサゴの見栄えの良さが適当であったのかも知れない。

 万葉集以降、勅撰和歌集でミサゴが詠われた歌を見ないのは、トラツグミと同様である。世捨て人で、広く各地を行脚した西行法師が次のごとき歌を詠んでいる。

 あら磯の 波にそなれてはふ松は みさごのいるぞ たよりなりける
                              山家集 西行法師

 上の歌は、最初の出だしからの情景描写の巧みさに惹かれる。昔はミサゴはこんな風景の中で見るのがごく普通だったのかなと思う。この歌も赤人の歌と似て、深刻な心情を詠んだものではないと思われ、むしろ写実的な感じを強く受ける。


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