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2008年6月 2日 (月)

 チュウシャクシギ・河内町

 このところ、我が休日は天候とうまくかみ合ってくれない。ざっくばらんに言うと、暇な日は大概雨降りにぶつかる。従って、鳥見行は小休止が続くことになる。つい最近までは、休日に何かを目論むと大体晴れることが多かったので、自惚れて晴れ男と自認してきたが、歳とともにその縁起は効能が薄れてきた。我がフィールドならば諦めも容易だが、近々予定している遠出鳥見行の際には、なるべく晴れ男の冥利を維持しておきたいものだと、やきもきした気持ちになっている。
 それでも5月下旬に入り、一仕事を終えて眩しい日差しを受ける午後ともなると、やっぱり落ち着かない気分になった。印旛沼を経て利根川を渡った茨城県河内町の水田地帯まで2回ほど、つい出かけてしまった。

 本当は、その2回とも植田の中にいるタマシギなんぞを見たいものだと思って出かけたが、残念ながら空振りに終わった。目新しい鳥も見なかった。けれども、収穫がなかったかと言うと、そうでもない。我ながらおやっと思うほどチュウシャクシギを多く見た。河内町の水田の畔などには、7、8羽が並んでいるのである。並んだチュウシャクシギなどはあまり見た覚えがなく、元来珍しもの好きのこともあって、知らぬ間に撮り続けていた。

 チュウシャクシギ

 こうやって3羽並んでいると、やはり最初に目が行くのは嘴である。どれも下に曲がっているのでなんとなく迫力がないと感じるのであるが、これがオオソリハシシギだったりすると雰囲気はがらりと異なり、迫力満点になる。サーベルの如き嘴が一斉に同じ方向を向いて並ぶ姿と、壊れかかった竹刀の如き嘴が並ぶのとでは、見た感じが全く違うのは仕方あるまい。オオソリハシシギが並ぶ場面は、鳥見を始めたからにはいつか撮りたいと思っている。だからといって、オオソリハシに比べてチュウシャクシギへの贔屓が下がるなどとは毛頭思っていない。チュウシャクシギの並ぶ姿は、見慣れてくるとユーモラスな気がしてくる。

 ところで、映像の最も奥にいるチュウシャクシギの嘴であるが、前にいる2羽のそれと較べると、より湾曲が目立つ。湾曲の度合いが全てのチュウシャクシギに均一ではないとすると、一体嘴というものは、何かの力が作用するとかくも簡単に曲がるのかしらんと思ってしまう。餌を採るとき、思い余って水面下にある硬い岩盤でも突っついたのかとか、いや、遺伝的に規定された個体表現の結果なのだろうとか考えたりする。鳥の嘴とは、例えばドラミングをしながら木に穴をあけるキツツキの嘴などを連想すると、さぞかし硬いものだろうと思うのであるが、意外にそうでもないらしい。読みかけの記事から脳裏に残った中途半端な知識なので、どれくらいの硬さなのか今後確かめておきたいと思っている。曲がり過ぎた嘴の一因を垣間見ることができるかもしれない。

 いつも1羽でいる姿を撮り慣れていると、多くが寄り集まっている場面は、新たな魅力を感じる。減り続けている野鳥であれば、珍しい光景だとも思う。

 いささか孫引きの感が否めないが、シギ・チドリに詳しい某ホームページを見ていたら、WWF(世界野生動物基金とでもいうのだろうか)が調べたシギ・チドリ類の個体数の年比較推移(1974年と2003年との比較)を紹介した記事があった。滅多に見る機会のない貴重なデータを紹介してくれた某ホームページに感謝しているが、チュウシャクシギは、その個体数が増加しているグループに入っていた。嬉しい限りである。増えている他のシギ・チドリ類は、ミヤコドリ、セイタカシギ、ダイゼン、オオメダイチドリとほんの少数であった。ミヤコドリ、セイタカシギは鳥見行でも見かける頻度は高い気がしている。けれども、残りの多くは全て減少一途であって、中には90%以上の減少率を示すものがあった。悲しい限りと思う。

 


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